蓮見喜久子 その後 [蓮見喜久子 その後]

蓮見喜久子のその後を調べてみました。

蓮見喜久子は外務省機密漏洩事件当時41歳。
この事件で有罪が確定した後、控訴せず
1974年2月7日の週刊新潮で「私の告白」という
西山太吉記者との関係に関する手記を発表しています。
テレビなどにも出演し、痛烈な西山氏批判を展開しました。
女性自身1974年3月2日号の夫婦対談を最後に
蓮見喜久子は、メディアとの関係を絶っています。
その後は、裁判での担当弁護士の事務所で働いたり、
その他にも事務職をしていたそうです。
一時は、男性と同居したりもしていたそうですが、
2006年当時は蟄居していたそうです。
2007年以降の蓮見喜久子の消息はつかめていません。
彼女が生存していたなら、
今年で82歳を迎えます。
西山事件には、今でも疑惑が残り、
当時の政府高官から多額のお金が
蓮見喜久子に渡ったのではないかという憶測も飛び交います。
多くの人が真実を知りたいと思っているはずです。


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